葡萄収穫用ナイフ七本および一個の陶器製ワイン杯の発見が、ローマ人到着以前既にスロバキアでワインの生産が行われていた事を証明しています。
スロバキアワインの豆知識
ワインは大モラヴィア帝国の皇子達によっても愛飲され、ワインに対する格別の敬意が払われました。その思想はこれまで守られてきた三つの祈りの言葉によって裏付けられています。その一つは葡萄園にワイン醸造用葡萄の木を植樹する際の祈り、二つ目は葡萄の収穫に対する祈り、そして最後は葡萄マスト(葡萄果汁)を発酵させる際の祈りです。
1241年タタール人のスロバキア侵攻後 (Tatar Invasion)、ドイツ人及びイタリア人の入植者達がスロバキアでヴィテイカルチャー(Viticulture -ワイン葡萄栽培の科学とワイン生産)およびヴィニカルチャー(Viniculture – ワイン葡萄栽培とその管理技術)の復興に尽くしました。
女帝マリア・テレジア (Maria Theresia 1740-1780 ) はラチャ地方で醸造されたフランコウカ モドラ(Frankovka modrá )を初めて試飲して以来その味わいにすっかり魅せられ、このワインの継続的栄光を大いに広めることとなりました。その後、心臓の健康を保つと見られている含有物レスベラトロル(抗がん性物質)がフランコウカ葡萄品種で発見されるまで200年と言う歳月を要しました。
1825年、ブラチスラバはフランスを除き最も有名なスロバキアワインの銘柄の一つである「J.E. フーベルト」(J.E. Hubert) の定着を誇示する世界最初のスパークリングワイン(発泡ブドー酒)の生産地となりました。
1859年、ジェイコブ・パルジアイ(Jacob Palugyay )がワイン醸造所を設立しました。彼のワインは歴代日本国の天皇、オスマントルコ帝国の皇帝、ブラジルの皇帝はたまたベルギー王国の国王によって嗜まれました。このワインはかの豪華客船「タイタニック号」船内でも乗客達に供されていました。
パルジアイ(Palugyay)は今日のプラシュスカ( Prazska ) 通りにあった葡萄酒樽と瓶から絞り出される彼のワイン貯蔵室からブラチスラバ中央駅に延びる最初のワインダクト(葡萄酒用導管)の敷設工事によってワイン造りの歴史にその名を刻むこととなりました。
ブラチスラバ(昔の名称:プレスブルグ)のワインは多くの有名人に嗜まれてきました。高名な作曲家のベートーベン、リスト、ルービンスタイン更にはハンガリーの詩人のペトフィーなど様々な人々がスロバキアワインを愛好しました。
スロバキアのトカイワインは、歴代各国の国王、ローマ法王そして大統領のみならず世界初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン(Yuri Gagarin) によっても愛飲されました。
2001年、スロバキア南部のシャトー・ベラ ( Chateau Bela) で造られたリースリング・リンスキー(Rízling rýnsky / Riesling ) は世界的にかの署名なワインとワインの文化誌「ワイン・スペクテーター」(Wine Spectator ) に登場した最初のスロバキアワインとなりました。
2005年、合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュと彼の外交上の相手役であるロシア連邦共和国のウラジミール・プーチン大統領が首都ブラチスラバを歴訪しました。ブッシュ大統領はホテル・カールトンでヴィナンザ・ヴラブレ (Vinanza Vráble ) 産の「赤のクヴェー ( Red cuvee ) “ 大統領“」 のサービスを受けました。 一方、プーチン大統領はホテル・ボーリックでリースリング・リンスキー (Rízling rýnsky)と共にフランコウカ・モドラ ( Frankovka modrá ) のサービスを受けました。
2008年、英国のクイーン・エリザベス2世女王陛下(British Queen Elizabeth II )が初めてスロバキアを訪問しました。女王はムルヴァ&スタンコ (Mrva & Stanko) ワイン醸造所 及びパヴェルカ ( Pavelka) やヴィラ・ ヴィーノ・ラチャ (Villa Víno Rača) ワイン醸造所で生産されたワインと共に60年前に彼女の即位戴冠式で供されたラドシンスキー・クレヴナー(Radošinský Klevner) を再び楽しまれたのでした。

